母娘の異常な愛情

寅年娘と辰年母、考えるところ

時間と記憶ぼんやり

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わたしの実家へ。自宅から1時間半のところにあるので、月イチくらいで遊びにいきます。ですので、娘は祖父母大好きです。わたし自身、あまり祖父母との交流というのがなくて、懐くことができず、何となくさみしかったので、娘には両親以外にも味方がいるということを感じてもらいたかったのです。できるかぎり会えるときに会って遊んでもらっています。娘は「遊んであげる」感覚みたいですけれど。

実家だと、30年前のモノがふつうに使われたりしてて、わたしが使っていたオモチャやカバンやお皿やコップを娘が使っている、ということが頻繁にあり、感慨ぶかくなります。30年経つと、人はだいぶ古くなる、それはしみじみ感じておりますが、モノの形はほぼ変わらず。風景が変わり、モノに気持ちがあったなら、どんな風に感じるのかしら。置いてけぼり?嬉しい気持ち?それとも、わたしが感じるように「時間がたったねえ」という事実を前にして、ポカーンと空虚を眺めるのかしら。

このかぶとむしのコップは、わたしが幼い頃住んでいた山の家で使っていた記憶がよみがえります。木の家と夏のにおいと、麦茶の茶色い記憶。

過去の時間て、記憶あってこそ、その時間があったという事実になるから、そのモノにまつわる記憶が、ぼんやりとしてでもいいから、ふと蘇ると、懐古できて、たまには心のエネルギーとなりますね。